未来なんて予想出来るはずは無い。
でも、家を作る事って、つまりは未来を作る事でもある。
家は少なくとも30年、長ければ100年、その形を保つからだ。
100年後もその「箱」が快適な暮らしを支える機能を持ち続けるために、少なくとも「未来を読む」いや「読んでみる」試みくらいはしておくべきだろう。
こんばんは。
徳島お片付けラボ
エクリュプラス
竹内真理です。
2025年は人はモノを買わない・・という内容の本のレビューを読みました。(中身は読んでいない。)
モノを買わないというのは、消費しないというわけではなく、従来のような「店にいく」「選ぶ」「お金を払う」「持ちかえる」という行為をしなくなる・という事らしい。
家にいながらにして、ぽちっとワンクリックで商品が翌日届く・・・という仕組みにほとんどが置き換わるのではないかという事だ。
■脱プラスチックという流れ
それとは別に、今「脱プラスチック」という流れがある。
もしプラスチックやラップの使用が制限されてくるとすれば、輸送は大きく変わるだろう。大量生産と大量消費という消費の形は、もしかしたら大きくかわるかもしれない。
■所有しない世代
車を所有せず、リースでかりるほうがお得な時代になってきたようだ。
もしかしたら、このままでは「家」もリースになる?
よく考えたら、ヨーロッパなどは家はどんどん住み替えるらしい。その土地に根付いた「家を守る」という意識はヨーロッパには無いのかな?
日本もどんどん田舎の「先祖から受け継いだ土地」を引き継ぐ若い人がいなくなり、都市部に移動している。そうなったとき、「受け継いだ家」という意識はぐんと減るだろう。
暮らしのスタイルの変化(結婚・子育て時代・子供の独立)等に合わせて、住み替えるというのはとても合理的だ。
良い家を建てれば、良い値段で売れる。
子育て時代はちょっと大きな家に住み、年をとれば小さな家に住む。それが可能になれば、ずいぶんと気持ちが楽になるかもしれない。
■トランク一つで「住み替える」
まあ、少し大げさではあるが、言って見れば人生は「トランク一つ」の流れ旅・・のような感覚に近くなるのかもしれない。
その時に使うモノを買う。
不要になれば売る。
ずっと持ち続けたいものは…私ならばなんだろうか。
家族のアルバムも、数枚を抜き取り、後はデータにしてクラウドにあげることも出来る。
自分に似合う、着心地の良い服を3セット、靴、パソコン、ケータイのみを持ち、家電が備わった新しい家に合わせて暮らす。もしかしたら、パソコンすらいらなかったりして。
服も、食器や雑貨も、その家に合ったモノを買い、引っ越すときはまた売る。
あら、そう考えたら、いったい自分にとって必要なモノて、何なんだろう。
「所有しない」という世界の事を考えたら、どんどん気持ちが軽くなる。
本当にそんな世界が来たらいいのに。
■「食」は共有の場で
朝起きた時のコーヒーや、ちょっとした食事は家でしても、ちゃんとした食事は共有の場に行って皆で取るというスタイルのほうが効率がいい。
ご飯でも同じ焚くなら大量に炊いた方がおいしいから。
それに、食の場はコミュニティーの場としてとてもふさわしい。
子供を預ける場所、見てもらえる場所、ご飯を食べる場所。
地域住人が、なんとなく一つの家族のように助け合い暮らすというイメージは昔から私のあこがれだ。
人は一人では生きられないから。
多少のわずらわしさも、また人生のスパイスというものだろう。
もちろん、一人がいい人は、それはそれでいいではないか。
キッチンが充実の家を買えばいい。またお金のある人は自分で家を建てて、後世に引き継げは゛いい。
■長期的視野で考えても「丈夫でシンプル」な家を目指すべきではないか。
そういう意味で、家は出来るだけ建て替えしなくてもいいようなシンプルで丈夫な家を目指すべきだと思う。
こちゃこちゃしたデザインは排除して、素材感のある、美しい「箱」を目指したいものだ。
そして、使い方が限定されていないけれど、どんな使い方でも結構うまくいくという究極の「形」がつくれたら最高だ。
テイストも限定しないで、置くものによって雰囲気が変わるようなシンプルさがいい。
そんな家が増えたらいいな。
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